熊胆と動物胆

京都の奥地に芦生原生林がある。京都府宮津市に注ぐ由良川の最源流部に位置し、京大演習林として広大な原生林を有している。中井猛之進博士は、「植物ヲ学ブモノハ、一度ハ京大ノ芦生演習林ヲ見ルベシ」と論文の中でも紹介されている。植物だけでなく、クマのいる演習林としても有名で、原始の自然が濃く残されているところである。  


熊胆 雪

十五年ほど前の話である。芦生の井栗さんからいい熊がとれたとの連絡をもらった。ツキノワグマの解体に立ち合えるのは滅多にない機会である。さっそく喜んで芦生へ直行する。春とはいえ周囲はすべて雪一色の世界。


集落の中心にある、十畳くらいの小屋の中に台を置き、その上にクマを仰向けにして解体は始まる。毛皮を剥ぐと真っ白な皮下脂肪があり、その正中線に沿って山刀を入れる。想像していた生臭ささはまったくなく、猟師が山刀一つで素早く、確実にさばいていくのは、無駄な動きがなく美しい。この部分は何に使い、これは妊婦に使う、とか解説してくれる。一頭の熊が捨てるところなく利用されるのは僻地ゆえの知恵だろうか。

熊 解体 熊胆 解体 熊胆

熊胆

胆嚢の上をひもで縛りつるして乾燥させる。三ヵ月程で固形になるが、嫌な臭いはまったくせず、少し焦げた匂いがして、むしろ香ばしい。今までに取り扱ってきた市場品の熊胆は、全部が全部嫌な臭いのするものであったので、正真正銘の本物の熊胆の香ばしさには驚いた。熊胆を初めて取り引きする場合には必ず解体から立ち合う。混ざり物なしの本物を証明するためである。



鑑別法

熊胆の文献で信頼でき、詳細な説明がされているものに、『一本堂薬選』(1)がある。著者の香川修庵は、灸・熊胆・唐辛子・温泉などを好んだ後藤艮山に習っただけあって、熊胆には実に詳しい。『一本堂薬選』の「撰修」から熊胆の良否鑑定を表にまとめてみた。(図参照) また真偽鑑定部分を引用する。


  におい 水中に入れた時の状態
上品 ○極めて濃く苦い
○雑味のないもの
漆のような黒光り 焦げたにおい 飛ぶように回る
下品 ○初め苦く後に甘い
○苦味が薄いもの
○甘みを帯びるもの
光沢のないもの ○腥気(生臭さ)あるもの
○腐敗臭あるもの
○血瘀の気あるもの
○回りかたが遅いもの
○溶けずに水面に残るもの
○回らないで黄色の線を引くもの

「凡そ熊胆の真偽はもと甚だ見易くして、人の間で真偽は弁じ難しと謂うは、蓋し世人の多く習見(見なれる)せざして真偽の分別を知ること無き為の故なり」

「凡そ偽物は外皮煤黒く、内面は枯れた黒で、光なく、堅硬して石の如く。苦味或いは薄く、或いは悪しかるべし。此れ多く黄連、蘗皮、当薬(センブリ)等の苦品を用い、血汁を加入し煎錬し、粧い造り、晒し乾かして以て愚人を瞞す。また甘草を濃煎汁にて錬造する者も有り。此の品の味は微に甘、並びに(みな一様に)運転せず。また白桐樹を用いて焼いて黒霜と成し、少し許りを水上に投ずれば、運転止まず。此れ其の至って軽きの物、之に加えるに運性有るが故のみ。然るに苦味至って薄く、なおかつ市の隅、街の側で姦商賎売して以て鈍漢(おろかな男)を欺く。また血入り熊胆と称する者有り。初めに胆を得るの時、生胆汁を傾け取り、その虚所を填めるに、温血を以てし、粧い造り乾かして売る。此の品、必ず腥気有り。かつ水上に点するに、残胆消せず長く水面に浮く。指を以て撮み取り、之を捫でて纔かに(やっとのことで)消す。此れ乃ち血の凝なり。以上の偽物は皆識別易し。世にまた云う、猿胆及び諸獣胆を用いて偽造すと。此れまた多く見、詳さに識るの説に非ず。猿胆甚だ小にして、かつ外色もとより熊胆の皮の色に似ず。此れを以て欺くべきに非ず。野猪胆も味は頗る苦く、また能く運転す。但し色は黄赤にして乾後には甚だしくは固からず、熊胆の状に似ず。その効頗る多しと雖もただ熊に及ばざるなり。牛胆は運転もとより慢し。かつ外皮は黯黒(暗い黒)で熊胆に似ず。凡そ諸胆の味は熊と似ていると雖も、然れども敏性、勇才を較べるに至っては、諸胆の敢えて望む所に非ず。豈また之を与え、日を同じくして語るべけんや」

「凡そ熊胆は堅脆にして砕け易く、皮に粘せざる者を以て絶品と為す。軟なる者は真なりと雖もまた劣る。況んや軟なるを過ぎて定めて最下と為す。冬硬く夏軟なる者有り。また極めて佳なるに非ず。唯、冬夏易わらざるを以て上等と為す。石のごとく硬く砕け難き者は偽物なり。また色は蒼緑なる者あり、多く良なり。また皮に厚薄あり。その薄きこと紙の如き者を以て好しと為す。厚き者もまま佳種有り。ただ皮薄き者は肉多く、皮厚き者は肉少なきを以ての故に世人は薄皮を尚ぶ。便利に趁うなり」


熊胆は古来偽物が多いので鑑別はやかましくいわれているが、『一本堂薬選』に説明されているのは筆者のこれまでの体験と同じで大いに賛同できる。また引用の最初でも言われているように、現代は生薬に詳しく、業とする者でも本物の熊胆を一度も見たことがないことが多い。


富山で熊胆を扱っている詳しい業者に教わったことがある。輸入物の特上品と次品を並べて比べてみたが、両方とも腥気というか、嫌な生臭さがあった。香港で牛胆や豚胆、松脂、膠などを使って巧妙に造るとのこと。その品質の差は熊胆の含有率によるようだ。これは熊胆に限らず、麝香なども日本には正真証明の本物は入荷されず、いかに本物が多く混ざっているかが品質の良否になる。また国産の熊胆をいくつか見せてもらったが、いずれも芦生の熊胆と同じく、焦げた香ばしさがあって、悪臭はまったくなかった。


写真中央で熊胆を示しているのは井栗さんで、右隣が筆者。写真は井栗さん所有の最近の熊胆である。これはりっぱな熊胆であるが、井栗さんが言うには、 「昔からクマノイはいっぱいさわってきたが、これは夏になると少し柔らかくなる。今までこういうのは経験したことがない。ひょっとして自然環境が悪なってるせいやろか。年々クマも減っているし」 とのことである。『一本堂薬選』によればこの熊胆は残念ながら次品になる。ツキノワグマも絶滅種になりつつある理由であろうか。


また以前、新聞に載っていたが(2)、中国吉林省延吉市の「珍貴動物飼育場」では熊の胆嚢にチューブを通し、熊を殺めることなく生かしたまま胆汁を採る続けるのである。先日知人がこの熊胆を入手したので見せてもらったが、小さな試験管に入った注目の品物は臭いがきつく、どうも混ぜ物をした製造品であると感じた。 筆者の今までの経験からいえば、本物は嫌な臭いがしないし、むしろどちらかといえば焦がした香ばしさがある。粗悪品には、悪臭がするのは勿論であるが、異物が多く混ざっている。硬貨や銃弾は重さを増すためであり、髪の毛は造り物である証明であろう。


井栗さんの事務所の天井には猪胆やその他の動物の胆嚢が吊されて乾燥してある。恐る恐る臭いをかいでみるが、どれも気持ちの良い焦げた匂いで、悪臭はまったくない。


効能

芦生は由良川最源流の地区であり、道は原生林で行き止まりとなる辺境の地である。最近でこそ舗装道路が開通したが、未だに一番近い医療機関へは数十キロも車で飛ばさなければならない。昔から現代に至るまで熊胆を救急薬として使うのは当然のことだろう。芦生の人は熊胆は万病に効くという。現代人からみればオーバーな表現に映るかもしれないが、『一本堂薬選』にはまさしく万病に効く、との説明がされている。また熊胆は何にでも効くが常用すると麻酔が効かなくなるので、よっぽどのときでないと使わない、と地元の人に聞いたが如何なものだろう。


『一本堂薬選』より引用する。


「試効」
「★★、疝痞、痃癖、心胸痛、腹痛、傷食腹痛、不吐不瀉、諸癇、癲狂、瘧疾、痢疾を療じ、蟲を殺し、嘔吐を止め、痘瘡を発し、疳疾、驚癇、妊娠腹痛、産後腹痛、生を催し、目に点じて翳を去り、痔に塗りて痛みを止める。一切の卒患急病に以て元気を喚起し、蔽塞を開通する」

「弁正」
「熊胆は救急最要の良薬なり。おおむね卒患・急病・劇危の時に当たって、闥を排し、陣を衝き、墜ちるを援け、倒れるを起こし、絶えんと将を続き、去らんと欲するを回らす。大いに善く元気の昏迷を換醒する。大功捷才、また比駢なし。故に卒然として運倒人事を省せず、或いは欝冒・昏迷、すなわち知覚無く、或いは気上がりて静まり難く、或いは気陥ちて絶えるに似、或いは腹痛・疝痛至って劇して忍び難く、或いは心胸、臍腹、蔽窒開かず、是 ★、是癇、是中寒、是傷食、是中毒、是小児驚癇及び痘の初め、是婦人の妊中産後及び血運を問わず、緊は皆施し用いて速やかに偉勲を立つ」
「此の物、救急に止まらず、或いは緩病、★・疝・★★・癖の為す所の変じて壊病、痼疾と成りて、痛を為し、痞を為し、悶を為し、瀉を為し、及び心胸臍腹の痛塞、癇蟲、瘧、痢の淹滞の如きもまた皆久服、多飲して善く全功を収む。ただ用いる者の活法如何に在るのみ」


ツキノワグマの現状

現在において本物の熊胆を薬として使うのはどんなものだろうか。日本においてはツキノワグマは絶滅の危機に瀕している。隣の韓国に於いても、日本ツキノワグマ研究所(3)の情報によると、全土で数十頭といわれて絶滅寸前であり、天然記念物に指定されている。 ところが一部の熊胆好事家のために、その価格は1グラム210USドル、野性が証明されるなら、グラム1000~1875USドルにもなっている。狂気の世界ではなかろうか。『なめとこ山のクマ』ではないが、熊胆だけのために、「おまえは何がほしくておれを殺すんだ。」とクマに詰られてもしかたがない。しかしながらクマが住んでいる地元の住民にとっては、クマは生活を脅かす害獣であるので、有害駆除してほしいやっかいな存在だ。最近はヒトとクマとの共栄共存を求めて、捕捉したクマを殺さずに奥山放獣の活動をしている人もいる。日本ツキノワグマ研究所の米田一彦さんだ。応援したい。研究所の封筒には次のような詩がある。

「クマは森なり」という。
森という財産を互いに共有することにより
人は森を起源とする清涼な水と
清澄な大気を得ることができる。
……都市も部外者たりえない。


動物胆

生薬メーカーから入荷できるもので、蛇胆とマムシ胆と呼ばれるものがある。 これは蛇胆、マムシ胆とは称してはいるが、実際は何物の胆嚢かは不明である。しかし市場品の熊胆のような悪臭はなく、味、臭いとも本物の熊胆に酷似している。また口に入れても不快感はない。熊胆よりもはるかに安価なので、代用品としてお薦めしたい。 高価で悪臭のある市場品の熊胆は、嘔気があるときにはとても服めない代物である。二日酔いに効くというが、ただでさえ気持ちの悪いときに、こんなものを口に入れればただちに吐いてしまう。


まとめ

現在市場品の熊胆や麝香に混ざり物がなく純粋と思われる物はない。麝香の代用品は思いつかないが、熊胆は蛇胆やマムシ胆で代用できる。もちろん『一本堂薬選』に記載されているような特効ははるかに落ちるが、時代が時代だけにやむをえないだろう。


引用文献

参考文献

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